プルータスコラム
プルータスはこれまで多くの方々に支えられ、100周年を迎えるところまで歩んで参りました。
私たちはここで立ち止まることなく、次の100年に向けて更なる進化をするために 各自が
それぞれの立場で何をしなくてはいけないのかを考え、努力をしていかなくてはいけません。
今回半世紀にわたりプルータスを内部から支え沢山の道筋を作られた、国際部の佐藤執行役員に
これまでの歩みと今後の展望を伺いました。
座談会参加者 : 佐藤執行役員・松浦部長・田中(国際部)、益子・中山(東京営業部)
第1回目は韓国との取引について
【佐藤執行役員】(以下佐藤さん)
松浦さんから事前にお話はうかがってます。
今回は韓国についての話ですね。
【益子さん】
はい、よろしくお願い致します。
【佐藤さん】
とりあえず、韓国とは皆さんが産まれる前から取引をしていたんですよ。
僕がプルータスに縁があって入社したのが昭和37年。西暦でいうと1962年。
今2015年でしょ?もう半世紀以上になっちゃう。
【益子さん】
おお…!!
【佐藤さん】
そして日本と韓国が国交を回復したのが1965年。僕が入社して3年後に
国交が回復したってことになるね。今でこそ一回パスポートを取れば有効期限内なら
何度でもビザ無しで渡韓出来るけど、当時は毎回毎回パスポートを取る必要があったんだ。
だから、僕の書斎の机の引き出しの中にはパスポートがたくさん残っていると(笑)
※実際に見せていただきました。クリックで大きくなります!
【益子さん】
年単位じゃないんですね。都度だったんだ…!
【佐藤さん】
当時の韓国の飛行機の半分は軍用機で、民間の飛行機はあんまりなかったね。
あの時はN航空だったかなぁ?乗客もほぼアメリカの軍人さんでしたよ。
【松浦さん】
韓国の航空会社じゃないんですね。
【佐藤さん】
そうですね。韓国の飛行機も飛んでいたかもしれないけど…
あったとしても、便が少なかったのかもしれない。外国の航空会社だとC航空も飛んでたなぁ。
その時のスチュワーデスはあの、スリットの入った……
【松浦さん】
…チャイナドレス?
【佐藤さん】
そうそう!!チャイナドレスを着ていたよ。まあそんな時でね。
当時の韓国の第一印象は本当に、「モノ売れるのかな・・・!?」だったんですよ。
【松浦さん】
そうですよね。モノが売れるかどうか、未知の世界ですよね・・・・
=== 次回へつづく ===
次回【韓国編】-2は「プルータスが韓国と取引を始めたきっかけ」をご紹介致します。