プルータスコラム
※写真はフリー素材です。
プルータス座談会も3回目となりました。
座談会参加者 : 佐藤執行役員・松浦部長・田中(国際部)、益子・中山(東京営業部)
ようやく具体的な取引の内容についてのお話です。
【佐藤執行役員】(以下佐藤さん)
次は僕が入社してからの話ですが、現・韓国大統領のお父さん(=パク・チョンヒ)が
当時軍人さんで、クーデターを起こして政権をとりました。
そして、まず何をするにも産業を起こす必要があるということで、製鉄所を作ったのです。
【益子さん】
その頃に製鉄所がつくられたんですね。
【佐藤さん】
そうです。そしてその時に詳細はわからないんだけど乗用車が韓国に輸出されまして、
そうなると今後は自動車に関わる部品なんかが必要になりますよね。
そこに目をつけたのがRさんのお兄さんです。
【益子さん】
なるほど、すごいですね。
【佐藤さん】
とにかくそういったものを輸入するって話になり、Rさんのお兄さんからプルータスに
話が舞い込んで、その時が僕とRさんのお兄さんとの初対面。
【松浦さん】
そこでお会いになったんですね!
【中山さん】
佐藤さんがRさんのお兄さんと初対面の時って、入社からどのくらい経っていたのですか?
【佐藤さん】
えーっとね、すぐですよ。国交回復前だから、入社2年目とか。何が何だかわからなかったけど
一応やることになったわけ。
【松浦さん】
2年目じゃあ、右も左もわかりませんよね。
【佐藤さん】
うん、わからない。無我夢中ですよ!だけど、「是非韓国に来て下さい!」って言われてね。
やり取りがあったわけですが、その後Rさんのお兄さんがご病気で亡くなられて……。
結局この話は終了となりました。
そのころ、ニューヨークから帰ってこられていたRさんは日本の商社の現地事務所に社員として
採用されました。当時日本は韓国と近い将来国交を回復することを見越して、大手の商社は
連絡事務所という名の拠点を持ち始めていたんですよ。
寝る時間も削って勤務したんだ、とご本人から聞いたことがあります。
そしてしばらくしてからRさんは独立して、個人会社を立ち上げました。
【松浦さん】
そろそろRさんとのお話ですね。
【佐藤さん】
そう。それでRさんとプルータス、なにか一緒にやりましょうとアイディアが出ました。
それが、 “ 工業ボイラー用のバーナーを扱ってはどうか ” というお話だったのです。
=== 次回へつづく ===
次回【韓国編】-4は「バーナー~鋼材の取引に至るまで」をご紹介致します。